貴様は眼鏡を甘く見た

人生ってSF。

肉じゃが作るのにオムライスの知識必要ない

音楽の技術について深く語ろうとも大概聞いてる側からすると「何言ってんだこいつ」って思うしかない、そんな業界というか世界というか、そんな俗に言うクリエイティブはちょっともういいやってなっています。
もちろん個人的な感覚です。
自分が何を聞いて何を得るのか。
スタンスとしては「何でも吸収してやろう」なんですが、やはり目新しい意見じゃない限り、話を途中で切ってしまいます。
自分がどう、ではなく、相手がどう、です。
高飛車な考え方ですが、しかし性分です。

「具体的に相手に伝わるように説明する」っていうのって非常に難しいじゃないですか。
自分が感覚でやっている部分を教えてくれと言われると、めっちゃ困るじゃないですか。
じゃあ口を開かないのが一番、って気持ちもないことはないですが、しかしやはりこういう創作活動の中ではそういうわけにもいかず(いや大体実生活もそうだけど)絵を描いて欲しかったり動画作って欲しかったりするなら、その人との意思疎通のために自分の感覚、イメージを相手に伝える努力をしなければならなくなり、やはり黙って見ていることは出来ませんね。
自分で作ってるからには自分の理想像があるはずですから。

作曲をしているもの同士の会話の場合「テクニックについて」か「感覚について」か、その2択しか話題にならない時があります。
僕は「感覚」でものを作っていますが、そこには「DTM」についての知識があったり「音響・mix」的な技術があったり(一応そういう仕事してますので自慢しときますね)動画を作る場合でも、それも仕事でやってますので経験があります。
なので僕は「基礎としてのテクニックありきの、感覚物作り」をしているのではないかと、客観的に思うのです。
しかし世間様を見渡すと前提としてそれがある訳ではなく、ただただ「テクニック」だけを求めていたり「感覚」を相手に問うて自分の感覚と違うかったら「違う」と言ったり、なんか肌に合わないなと思ってしますことでいっぱいです。
いっぱいに見えます。僕には。

訳の分からん話になっていますのでまとめて言いますと「自分に必要のない情報を集めている状況を見るのが嫌」なのです。
自分であれ、他人であれ。
「それ関係ない話やーん。肉じゃが作るのにオムライスの知識必要ないやーん」みたいな。
それが嫌なんです。
しかしこれを「何故?」と聞かれると、それはやはり「感覚」で、それでも説明しようとすると、上記のような支離滅裂な文章になってしまうのです。
推敲したら多少は分かりやすくなるかとは思いますし、あんまりしっかり伝えようとも思ってないので別にいいですが。


多かれ少なかれ、創作ごとをしている人は一番最初の『技術について深く語ろうとも大概聞いてる側からすると「何言ってんだこいつ」って思うしかない』って状況に出会ったことがあるのではないでしょうか。
それを考えた結果、こういう話になったのでそのまま書いてみました。
こういう話って間違ってる間違ってないを論することではない(考え方変わったりするし)と思うんですけど、しかし自己完結させるためには一度吐き出して、そして自分の中で様々な方法で推敲してみるのが一番ではないかなと、考えています。
火中の栗を拾うため。
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